「降段なんてもう嫌だ!」下振れ引いても死ぬ気で降段は阻止する麻雀ブログ

麻雀 強くなるには ~考え方の教科書~

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みなさんこんにちは✨ はじめましての方ははじめまして!

麻雀Vtuberの五城しーやです😊

 

今日は個人的にめちゃくちゃまじめな記事になります!

え、いつもふざけてるのかって?

いやいや、そんなことないよ(;'∀') いつも真面目……。

ふざけてるのは記事の投稿頻度だけw いや、これも別にふざけてないです💦

youtubeにいるだけですww

www.youtube.com

 

というわけで、今日も真面目な記事になります!!ww

まぁ、あれですよ…。「いつもより細かく書いてますよ!」的なあれです…。

揚げ足取らないでください~( ;∀;) 

 

今日の内容はですね、私が段位戦に勝つために必要だと思っている根本的な部分をお話ししていきたいと思ってます。

ちなみに牌姿は一切出てきません。

麻雀で壁にぶつかる度に、読んで原点に戻れるような記事にしてるつもりです。

講座というわけではないのですが、麻雀でなかなか成績でないという方はぜひぜひ最後まで読んでみてください✨

 みなさんに一つでも得になる情報があればと思います。

 

目次

1.戦場の把握

2.少なくとも麻雀を打ってる間は人間をやめましょう

3.負ける原因は常に自分か神様の二択

4.キレ打ちは知識の無さ、自信の無さ故のものである      

1.戦場の把握

まず、麻雀で勝つために大事なことは戦場を把握すること。

自分が戦っている戦場にどんな人がいるのか把握しましょう。

 

『自分がいったいどんな相手と戦っているのか』

 

そもそもこれを知っていないと戦いようがないですよね?

とある城を攻め落とそうとしているときに、その城に10000人がいるという情報を持っていたとします。

対して、自分たちは5000人の兵士しかいません。

攻め落とせそうですか?

答えはわかりません。なぜなら、10000人の内訳がわからないからです。10000人全員が屈強な兵士なら無理でしょうし、全員女子供や老人というのであれば可能でしょう。

 

麻雀においても一緒です。自分の戦う戦場にどんな人どんな目的でいるのかを知っておく必要があります。

ここでは私が普段打っているネット麻雀の段位戦という戦場について話します。

結論から言うと、段位戦という戦場は

 

・目標の異なる雀キーたちの集まり

 

みなさん最初に私が言ったこと覚えてますか? これでも真面目なんですww

ふざけ始めたとかじゃないですよw

解説しますね。

 

プロのリーグや大会の場合って、みんながみんな優勝するために努力して打つと思うんですよ。

でも、段位戦って本当にそうですか?

上の段位を目指して常に真剣に打つ人もいれば、空いた時間の暇つぶしに打つ人、などいろんな人がいますよね。

そのゲームの上位が集まる戦場であればまだしも(天鳳なら鳳凰卓、雀魂なら王座の間)、ゲームの人口密集地帯で打つ場合、この目的の差は最も激しいといえます。(天鳳なら特上卓、雀魂なら玉の間)

 

学校でも、テストで90点以上を狙う人と平均取れていればいいと思う人、赤点回避できればいいと思う人など、それぞれ目標、目的が違う人ばかりですよね。

段位戦も同じです。

いろんな人がいろんな目的で打っているんです。

自分が真剣に打っているんだから、周りも真剣に打っているはず。真剣に打っているならこういう打ち方なはず。

ネット麻雀はいつでもどこでも打てるのに真剣にやってる人しかいないと言えますか? 人によっては段位戦をデータが取れる場所として実験場みたくしてる人もいるかもですよね?

段位高いから、こういう打ち方はしないはず。

段位高い人が今の対局をながらでやってないと言い切れますか? 

 

というように、上のような考え方は、あなたが見えない敵を可視化しようとして出てきた空想上の生き物です。そんなものを信じるなら神様を信じたほうがいいですww

理由は後述します。

 

2.少なくとも麻雀を打っている間は人間をやめましょう。

 次に大事なのは人間をやめることですねww 

いやこれマジで真面目な話なんで、続き読んでくださいw ここで離れられたらただのキチガイになっちゃうから💦

 

今では、麻雀は期待値や確率など、色んな数字で最適な選択が導き出されてますよね?

戦術本読んで、新しい発見がある人も多いはずです。

そして数字で選択が決まるということは、同時に感情はいらないってことです。

だって、数式解くのに感情はいらないですよね?

1+1はどう頑張っても2にしかなりません。

俺は3が好きだから、1+1=3だ! なんて解き方教わってないですよねww 3が好きでも4が好きでも、数字が嫌いでも1+1=2は不変です。

ここでいう人間をやめるというのはこういう意味です。

人間をやめれてない方は、たまに1+1=3になってしまうような打牌選択をしてしまっている可能性があります。

とはいえ、上の例では簡単すぎて麻雀に置き換えてもピンとこないと思います。

そこでもう一つ例を挙げましょう。

 

一度かかったら助かる確率が1%の難病があります。

その難病に自分の大切な人、もしくは自分がかかりました。

助かる確率は何%ですか?

 

これも簡単な問題なのですが、感情が入りやすい分こっちのほうが理解しやすいのかなぁと思います。

答えは1%で変わらないですよね? これはほとんどの方がわかると思います。主人公補正がかかったら話は別ですがww

大事なのはここからです。

では、本当にその難病にかかった時、心の底から1%しか助からないと思えますか?

実際にその立場にならないと想像するのは難しいかもですが、私は正直無理だと思います。心のどこかできっと治るって思ってしまいます。

しかし、この「きっと治るはずだ!」というのは希望的観測であり、ただの感情です。どんなにそう思っても、助かる確率は1%です。これが現実です。

「絶対治る!っ祈ったのに治らなかったじゃねぇか! ふざけんな! お前、医者だろ! なんとか言えや!」

「祈って治る医学はありませんねー 文句いう相手間違ってませんか? 訴訟起こすなら神様にどうぞw」

てな話なわけですw 

すみません。ちょっとふざけました…。でも言ってることは真面目です。

 

さて、麻雀では上がりたい!と思う手が入る時が多くあります。しかし、その全てを上がれるわけじゃありません。

上がりたい!と思った手の時に先制リーチが来た時、あなたは本当に正しく判断できていますか? 

上がりたいという希望的観測に支配されて、実際にその手がどれくらい上がれるのか考えるのを忘れていませんか?

 上がりたい!と思う手は打点が高い、待ちが良いなどいろいろあると思いますが、先制リーチが来た時点で後手を踏んでいます。その時点で自分の和了率が下がっていることを打っている時に認識することが大事です。 

後から牌譜検討してわかるのは当たり前なんです。だって冷静ですから。1+1を2と答えられる精神状態であり、難病の問題の当事者ではないのだから、わかって当然です。

打っている時というのは、1+1に感情を混ぜて考えてしまいそうな精神状態であり、難病に自らがかかっている状態です。選択による得や損を自分が受けてしまうからこそ正常な判断ができなくなることがあるのです。

 

上がりたい!って思うことは人間なら当たり前のことですが、麻雀ではそれが足枷になることがあります。

人間らしく麻雀を楽しみ、選択自体は人間を捨ててみましょう。

 

3.負ける原因は常に自分か神様の二択

確認のために、

 

麻雀は自分が常に最善の選択をできていたとしても、負ける時があるゲーム

 

まずはこの認識をしっかり共有しておきますね。

結果が放銃で終わっても、確率的にそうするべきだったなんてのは麻雀打っていればたくさんあります。

 

さて、ここでは自分を常に最善の選択で打てる雀士と仮定しましょう。

 

お聞きします。

 

他家の異常なほど早いリーチは誰のせいですか? 自分のせいですか?リーチ者のせいですか? はたまた他の誰かですか?

 

当然ですが、誰のせいでもありませんよね? 山は自分で操作できないし、相手の配牌やツモも能力でどうこうできるわけじゃありません。それは他家も同じです。

しいて言うなら神様や山のせいです。

神様を信じていると、こういう時に全部神様のせいにできるのでおすすめです✨

3割冗談、7割本気ですw

まぁ冗談はさておき……。(結局、冗談なんかい!)

大事なのは、この答えは常に変わらないということ。

たとえ、東1局から南4局まで自分以外が捨て牌上段でリーチしていようと、自分の手が良い時だけ他家が先にリーチ打ってこようと、誰のせいでもありません。

そこにあるのは先制リーチをされたという事実です。

真っ先にやるべき事は愚痴ることではありません。後手で勝負できるならどう打ち回すのか。勝負出来ないならどうオリるか考えることです。

さっきはオリたから今回はちょっと押し寄りでいこう!とかじゃないです。あくまで、先制リーチされた事実と自分の手牌を見て冷静に処理するだけです。前の局は今の局に関係ないはずです。上がられて悔しいとかいらないんです。機械の如く、今起きたことを処理してください。

 

たとえば麻雀の神様がいたとして、毎回先制リーチできる手を誰かに授けるとしましょう。東1局はABCDさんの中からAさんに与えました。では次はBCDさんの中からBさんを選びました。

……

違和感に気づきましたか? 気づけなかった方はこの記事を読んで1つ得したと思ってください。

麻雀はそうはならないんです。常にABCDさんの中から選んでくるのです。

数字にすれば常に全員25%の確率で先制リーチの打てる手が神様から授けられるということです。

Aさんに与えたから次はBCDさんの中から33.33%に与えられるとかいうゲームじゃないんです。

麻雀打っている方なら、身をもって知っていることだと思います。

だって、一人しか上がらない時とかあるもんね(-_-;)

 

お聞きします。

 

自分の良形高打点のリーチに対して、実力者なら絶対に押さないような1000点愚形でめちゃくちゃ無筋を押されて負けました。

誰のせいですか? 

 

これは少し難しいですかね? いや答えは簡単だけど、実際にそう思えているかどうかが怪しいといったところでしょうか?

押してきた人が悪いですか? 違いますよね?

誰のせいでもありません。

しいて言うなら、神様のせい、山のせいです。

 

もし、相手が押さない方が得する場面ならば、確率的には自分が勝てる確率の方が高いはずです。なので負けたとしても、たまたま低い確率を引いただけです。

そして、これは何回も同じことが続いたとしても変わりません。

たとえ先制リーチが全て他の人に理不尽に交わされても、誰のせいでもないんです。

 

ここまで2つ例を挙げて話しましたが、他家の意味不明な速度の先制リーチの連打、理不尽に先制リーチが交わされる等により、自分がラスってしまいました。

誰のせいですか?

 

常に自分が最善を選択できていたら、悪いの自分じゃないですよね? じゃあ誰ですか? 他家のだれかですか? 違いますよね? 神様ですww

この記事はとりあえず、神様が超便利ということだけでも覚えてもらえればと思いますw 

記事の途中ですが、思ったより神様が便利屋みたくなってしまってどうしよってなってます(-_-;)

あ、本人は真面目に書いてますw

 

麻雀は自分が常に最善の選択をできていたとしても、負ける時があるゲーム

って第3章の最初で言いました。つまり、自分が悪くない場合は神様のせいなんです。だって、他の人の打牌に関しては自分はどうにもできないもん。

もし、あなたが他家の席に座って同じ配牌とツモをもらったら、違う選択をしているかもですが、第1章で書いたように、段位戦においてはいろんな人、いろんなレベルの人がいるんです。

たとえ、他家の選択が最善でなかったとしても、それは自分には関係ありません。それは他家の人が反省するべき点です。自分は何も関係ありません。

 

もし、自分が常に最善の選択をできていないのなら、負けたときは自分のせいです。

先制リーチが連続で理不尽に交わされても、それがそもそもリーチしない方がいいなら、自分の選択のせいですよね。

 

このように、自分が負けたときに他家が原因になることは基本的にありません。

他家のミスによって自分がラスになることがあっても、それはその人が反省するべきことであって、自分には一切関係がないことだと割り切りましょう。

 

4.キレ打ちは知識の無さ、自信の無さ故のものである

 

みなさんキレ打ちってしたことあります?

あまりにも不運が続いて、ムキーッてなって正常な判断ができない状態で打つことを言うんですけど…。(たしか広辞苑にこう書いてあったww 嘘ですw)

私もよくやってました。今だってやってしまうときあります。だって人間だもの。

どんなに人間やめようとしたって、人間ですからね…。そりゃあキレ打ちくらいしますよww

 

ここまで読んでくれた方は想像つくかもですが、キレ打ちをしてしまっている時は第1章~第3章で書いたように考えることができていないということになります。

つまり、記事を書いてる私も感情的になって自分で書いたことができなくなっている時があるということです(-_-;)

 

第1章~第3章ができていれば、そもそも何にキレてるの?って話になるんですよ。

負けるのは自分か神様が原因なので、その2択しかないのですが、自分にキレるくらいなら打つのやめて、反省なり座学なりしてください。

神様にキレるのは時間の無駄です。偉い奴らは弱者が何言ったって聞く耳持たないんだからw それでも神様にキレるなら麻雀は向いてません。囲碁・将棋やりましょ!

 

例えば、自分の中でこれは絶対リーチ!って言えるリーチ打ったとします。

結果は役満放銃でした。

 

もし知識があり、自信を持って絶対リーチと言える選択だったならばキレることはないですよね…。役満放銃だとダメージはでかいですが、でも仕方ないよなぁで済むはずです。

ここでキレてしまうのは、知識がなくて、自分の選択に自信がない時です。自信がないからこそ結果で物事を見て相手にキレてしまうんです。

自信があれば、たとえ役満に振っても嘆くことはあってもキレることはありません。

 

これくらい許して?とかそういった油断が最悪の結果に結びついた時もキレそうです。

でも、それって悪いの自分ですよね? 許して!っていうのは希望的観測です。

そう思って打ったのがいけないんです。

神様も他家も特に悪くありません。

意味のわからないゼンツに本手が負けても、それは誰のせいでもありません。誰にキレる必要がありますか?

 

自分の一打、リーチに絶対的考えがあり、間違ってないと言いきれるのなら、その手が放銃もしくは交わされて終わったとしても、悪いのは自分ではない。人事を尽くして天命を待った結果、神様が不義理を働いただけのこと。

麻雀は自分が常に最善を取れていても、負けることがあるゲームです。

自分の間違っていない選択が悪い結果に終わったことに対して、原因を求めること自体が間違え。困ったら神様のせいにしとけばだいたい解決。

間違っていないと思うなら、何も変えずただ突き進めばいい。

その結果、何千何万と打って結果が出ないのなら、間違っていないという自分の考えが間違いということに他ならない

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ということで、ちょっと長くなりましたが、今回の記事は以上になります。

最後まで読んでいただいた方! ありがとうございます✨

今日の記事は何というか、狂った時の自分に捧ぐ教科書みたいな節があります。

ただ、この考え方ができてるときは調子が良くて、できてないときは調子が悪いので、そういうことなんだと思ってます。

私が上達した原点はこの考え方にあると思うので、みなさんぜひ試してみてください!

というわけで、みなさんまた次の記事でお会いしましょう!

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